日立電鉄 最後の1年 33
2004. 11.21
晩秋の一日、日立の街を行く姿を記録しようと、水木駅から歩きはじめた。
盛土上の河原子駅から道路を跨いだ桜川方には小学校があり、その裏側に線路が走っていた。この区間は線路と人の通路の境界が曖昧で、生活の中に鉄道が溶け込んでいて個人的に好きな情景だった。
2004. 11.21
晩秋の一日、日立の街を行く姿を記録しようと、水木駅から歩きはじめた。
盛土上の河原子駅から道路を跨いだ桜川方には小学校があり、その裏側に線路が走っていた。この区間は線路と人の通路の境界が曖昧で、生活の中に鉄道が溶け込んでいて個人的に好きな情景だった。